April 08, 2019

足の裏の米粒で米ビザを取ってソフトウェアエンジニアになった話

概要

  • USのITエンジニアへの標準パスはUS大学院でCS等の学位を取ること。
  • しかし日本のCS Ph.D.も実はそこそこの裏道として機能する。
  • 著者は日本でPh.D→USでポスドク→ソフトウェアエンジニアとしてUS企業に転職してきたが、節目節目で主にビザ的観点から博士号に大いに助けられてきた。

 

数ヶ月に一度ネット界隈をバズらせる、「シリコンバレーのエンジニアはXXXX万円もらっている!エンジニア諸君は日本を出てアメリカに行くべき!」系の記事と、それに対する「そんなに簡単にビザ取れるかよ」の声。その度に便乗して何か書くかなーと思うも機会を逃していたが、この度Google(主に東京オフィス)の皆さんが「私はこうしてGoogleに入った(なぜか給与情報つき)」ブログを量産しているのに触発されて、日本ではそれほどメジャーでないと思われる経路でUS企業のソフトウェアエンジニアになった自分の話でもしようと思う。(ただしGoogleでもないしシリコンバレーでもないし、給与情報もないよ!)

お断り

まずはじめに自分の身分を明かしておくと、日本生まれの日本人、現在IntelのAustin, TXオフィスにてソフトウェアエンジニアをしており、スパコン向け通信ライブラリの開発に携わっている。本稿は当然ながら会社の意向とは無関係の個人の見解である。また、以下では米ビザの話をしていくがこれはあくまでも私個人の経験談であり、読者各位の個々のケースについては移民弁護士のアドバイスを受けてほしい。

足の裏の米粒

さて、あなたは「足の裏の米粒」という言葉を聞いたことがあるだろうか。博士号を揶揄した言葉で、「取らないと気持ち悪い」「でも取っても食えない」ことからこのように呼ばれている。本稿はそこで、(少なくとも計算機科学分野においては)食えるし、さらにはその米粒で米ビザが取れたよ、という主張をしていきたい。

F-1 OPTなんて知りもしなかった

まずはじめに大前提として、外国人がUS企業のエンジニアとして採用される(US現地採用)ためには、アメリカの大学/大学院で関連学位を取るのが標準のパスとなっている。これはアメリカの大学を卒業した外国人には卒業後学位関連分野で1-3年(情報系のような理工系関連学位では3年)程度働ける労働許可が下りる(F-1 OPT)というビザ面での特典のためである。よって自国の大学(学部)を出て、アメリカの大学院で修士や博士を取ってアメリカで就職という人が非常に多い。実際、現職の同僚の一人と話していて日本で学位を取ったと言ったら、「えっどうやってビザ取ったの?」と驚かれたくらいだ。

ではこうした事情に全く疎く、留学など考えもしなかった自分がどうやってUSで企業に入ったかというと、一つには日本で取った計算機科学の博士号に助けられた、に尽きる。自分は日本で博士号を取得した後、ポスドクとして渡米し、その後現職に転職した。本稿ではそのあたりの話を掘り下げ、特に、日本の大学の情報系博士課程に在学中の人、日本で博士号をとったもののこれからどうしよう、と考えている数年前の自分のような人にこういうパスもありうるんだと知ってもらえたら幸いである。

博士号取得まで

今思えばかなり凡庸な大学生として生きてきた自分は、留学や海外就職といったことを考えることもなく学部時代を過ごしてきた。しかしその後博士号を取るまでの間、いくつかのちょっとした事件が、自分の中で「このままずっと日本の組織、人脈の中だけで仕事をしていくのはリスキーだ」という思いを徐々に強めるに至った。ありがたいことに、修士1年のときにアメリカの国立研究所でのインターンに行かせてもらい、英語環境での仕事もなんとかなりそう、という根拠のない自信もわずかながらあった。そこで博士号取得が間近な頃、当時の指導教員が「博士とった後も自分の別プロジェクトで仕事しないか」と言ってくれたのだが、「ずっと同じ環境で働く気はありません、それよりも日本以外でいい職があったら紹介してください」と啖呵を切った。なお彼は大変できた人で、そんな生意気なことを言われても「そりゃそうだよね」と笑って、旧来の知り合いが新しくシカゴ大でラボを開いたのでポスドク募集中、という話を教えてくれたのだった。

こうしてシカゴ大の教授とSkypeで軽く話し、驚くべきことにすんなりオファーをいただいたので、2012年5月に渡米する運びとなった。文字通り博士号がなければポスドクはできないので、最初の渡米は博士号に支えられていた。この頃には、せいぜい1-2年で帰ってくる、もっと言えば1-2年でクビになるかも、などと漠然と考えていた。帰ってきたらまた国内の研究職を探すつもりでいたように思う。

ポスドク時代

シカゴについて間もなくの教授との面談で、「ポスドクには無限の可能性がある。研究者を目指すもよし、企業に行くもよし。」と言われ、さらに同僚のポスドク達からも口々に「なんで企業は考えなかったの?」と聞かれてはじめて、自分が「博士号を取ったからには研究職」という凝り固まったマインドセットにとらわれていたことに気づいた。その後エンジニア職への興味が徐々に高まっていき、ポスドク1年半くらいの時点で企業就職、それもアメリカでの企業就職を本気で考えるようになっていた。

その後、職探しよりもパートナー探しを頑張ったりした時期もはさみつつ、ポスドク3年目が終わるまでにはさすがに次の職を見つけなければと思い、転職活動を始めた。今思うと全くダメダメな転職活動で、そもそもレジュメが長すぎ(アカデミア向けのCVばかりお手本として見ていた)とか、大したコーディング試験対策ができていなかった(LeetCodeとか知らなかったぞ…)とか散々だったが、何とかIntelの面接にこぎつけてオファーを得ることができた。

O-1ビザ

さてここからが本題。当時自分は永住権をまだ持っていなかったので労働ビザをなんとかしなければいけない。それまで自分はH-1Bというビザでポスドクをしていた。これは高度専門職向けの非移民(短期就労)ビザで、外国人がテック系企業でエンジニアといえば大抵このビザを取る。ただし自分のビザには一つ決定的な違いがあり、H-1Bは通常年間発給数に上限があり超えた場合は抽選となるが、自分のように大学等の非営利研究機関で働くH-1Bはこの制限の枠外なのだ。ただし大学から企業に移る際には一度抽選に通る必要があって、自分が転職した2015年には既に景気はかなり上向いており、枠の2-3倍の申請があるのが普通になっていた。つまり半分以上の確率でビザが下りず働けないリスクが存在した。

そこで出てきたのがO-1ビザを申請するという戦略である。これは”extraordinary ability”を持つ人に与えられる、というビザで、H-1Bに対する最大のメリットは枠に制限がないこと、4月抽選で10月まで働けないという待ち時間がない点である[*1]。

O-1取得のためにはO-1の要件を満たす実績があるというエビデンスを集めて提出する必要がある。こうしてO-1取得のための資料集めに奔走することになった。様々な偉い人からの推薦状6通、業績リスト、査読実績、自分の業績が紹介された雑誌やwebページなどなど。さらっと書いたがこれらの資料を集めるのはなかなか大変で、ポスドク本業の論文を書いたりしながらだったこともあり結局2ヶ月近くかかってしまった。

よくO-1は「ノーベル賞級の実績を持つ人のためのもの」などと言われるが、自分の体感や下記のブログ群を眺めるに、博士号を取っており、その過程で培った実績と人脈があれば手が届くように思われた。ごく近い分野の人にしか通じないと思うが、O-1申請時の自分の主な1st査読付論文は、フルペーパーに限るとCCGrid x2 (1つはaccepted)、DSN x1、ACS(IPSJの国内論文誌)x1程度だったはずで、全論文のGoogle Scholar Citation数が50前後であったような記憶がある。

研究・技術者枠でのO-1取得がより具体的にどんなものかは、以下の体験談に詳しい。

永住権

その後、永住権(グリーンカード)も取得したのであるが、この際にも博士号が役に立った。雇用ベースの永住権申請は「アメリカ人の雇用を脅かさない」ことを示してはじめて認められるため、永住権申請をしようとしている人と同等のポジションを実際に募集して「探したけど我が社の必要とする人材はアメリカ人の中には見つかりませんでした」という証拠を提示する必要がある(PERM labor certification)。ところがここで、O-1の要件と同様の実績を持っていればこのプロセスを省略できる(national interest waiver; NIW)ため、永住権取得に要する時間が半年〜1年程度短くて済んだ[*2]。こうして2017年にグリーンカード取得。

ポスドクを経る必要性について

自分の場合はまずポスドクを経て企業に転職したわけだが、このステップは必要かどうか。結論から言うと絶対的な必要性はなく、実際日本で博士号をとって直接USテック企業(のUSオフィス)に採用された人を何人か知っている。

ポスドクを経たことによる利点として自分が思うのは、アカデミアは企業に比べるとビザが取りやすいこと、数年アメリカで暮らし仕事した後の転職だったので電話や対面での面接に(少なくとも英語が要因で)ひるむことはなかったこと、オンサイト面接に出かけるにしても移動時間的にも時差的にも辛くないこと、ポスドク時代に培った人間関係がその後の仕事でも役立ったりといったことが挙げられる。エンジニア職を受けるにあたってポスドク経験が不利に働くことはなかったように思う。

まとめ

本稿では、日本で博士号を取り、その後ポスドクとして渡米し、さらに米企業のエンジニアリング職に転職した自分の体験を基に、博士号が米企業で働くビザ(特にO-1)や永住権を取るにあたって有利に働くことを紹介した。この記事が役に立つ人がどれだけいるかは未知数だが、何かの参考になれば幸いである。

アメリカビザに詳しい人のための補足

[*1] 実はcap-exemptなH-1Bからcapをくぐって新しいビザを手に入れた場合、10月まで待つ必要があるのかどうかよくわかっていない。自分がhiring managerや移民弁護士とやり取りしていた中ではこれが問題になった記憶がないので待たなくてよい、と思っていたが、10月まで働けないとする法律事務所の見解もある。繰り返しになるがこれがクリティカルに効いてくる人は移民弁護士に相談のこと。

[*2] ここではEB2の話をしている。

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February 09, 2008

近況報告

昨年末にCCGrid出しましたと書いておいてその後音沙汰がないのもアレなので。

1月中旬に結果が返ってきて、CCGrid'08には無事通りました。現在Camera-ready原稿の準備中。投稿時にこれでよいと思っていたフォーマットと別のフォーマットを使わないといけないらしいことが判明し、大幅ページ数超過の予感。どうしたものか・・

1月はずっと修論のターン。今週発表会&審査会も終了して、なんとか修士の修了+博士への進学を認めてもらえたようです。審査の結果を聞く前から飲んでいたりしたが・・・

周囲はほとんどが修士修了後就職して大学を離れていくということもあり、自分自身の生き方についてもあれこれ考える時間が長くなっているような気がする今日この頃ですが、目の前のやるべきことも疎かにしないように着実にこなしていきたいところです。

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December 31, 2007

2007年を振り返る

毎年恒例の今年のまとめ。

1月〜2月 修論を見据えたテーマ選びに悩む。うだうだと何をするでもない日々を過ごしていたような。昨年から通い始めていた自動車教習所通いに精を出して2月に免許取得。半分現実逃避か。まあ免許は免許で必要だが[1]。
3月 ようやくテーマがそれなりに見えてくる。沖縄に旅行。
4月 M2に進学するも特に感慨もなし。SWoPPに申し込んでとりあえずそれに向けて頑張ることにする。
5月〜6月 SWoPPに向けた実装と論文書きなど。
8月 SWoPP 2007に参加[2]。さすがに1年前よりは内容的にまともな発表ができたと考えているが。
9月 修論中間abstract提出。EuroSys 2008を夢想するもさすがに無謀。
10月 IPDPSに出そうと頑張るもdeadline miss。1ヶ月後のCCGridに向けて仕切り直すことにする。
11月 CCGrid 2008に投稿。論文投稿したのを記念して中部・関西方面に旅行にでかける。中部国際空港・関西国際空港・神戸空港・大阪国際空港を一気にまわり、かつ新幹線N700系にも乗ってくるという超ヲタ旅行。オプショナルツアーは淡路島での野島断層見学。
12月 修論abstract提出。忘年会続きで飲みすぎ。なんかCCGridですべて終わった気がしていたが激しく気のせいで、修論大丈夫なんだろうか・・?というのが最近の心配事。

さて、来年は研究をもっと頑張らないとな、と去年書いたわけだが、まあ自分で振り返ってM1のときよりは頑張ったといってよいのではないかと思う。が、理想値に達しているかと問われればまだまだな気もする。来年は当然これ以上。

1年を終えてみて思うのは、とりあえずシュウカツしてみてもよかったかなぁということ。実際にエントリーしないにしても、説明会とか見学会みたいなのはもっと積極的に顔を出して企業が何をやってるのか、という感触くらいはつかんでもよかったのではないかと今更ながらに思っている(なぜか気が向いてH社にだけは行ってみたが)。

来年はとりあえず、自分の視野を自分で狭めないよう注意しつつ、目の前の研究をがんばるという年になるといいな。実は重要なものが目の前にあるときにはそれほど重要に見えなかったりもするので、なかなか難しい問題ではあると思うのだが。


[1] 実際のところ教習期限ぎりぎりだったため精を出していなかったら危なかった。
[2] (1/7追記) 最初間違えてSWoPP 2008と書いていたので修正。

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April 09, 2007

しまった

先月から三菱東京UFJ銀行(旧UFJ支店)の口座をオールワンに切り替えた。一定の残高をおいておくかわりにATM時間外手数料が無料になったりするサービスだが、よく読んでいなかったせいでさっそく罠にはまってしまった。

実はパンフレットにもwebサイトにもちゃんと書かれていることなのだが、ATM手数料の優遇はオールワン申し込みの翌々月後にならないと有効にならないらしい。これを知らずに「オールワンだぜへへへ」などと思って時間外に堂々と引き出していたら、しっかり口座手数料を取られていたのであった。3月に申し込んだので手数料が無料科されるのは5月からということになる。早めに気づいてよかった・・・。

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December 31, 2006

2006年を振り返る

毎年性懲りもないが今年のまとめ。

1月 卒論。
2月 卒論。これはひどい。
3月 大学を卒業。なんだかんだいって卒業できるもんですね(ぉ サークルの友達と卒業旅行で四国の旅へ。学科の基幹ネットワーク張り替えに伴ってCiscoルータで遊ぶ。NikonD200を購入。ISの友達と卒業旅行で箱根へ。
4月 無事大学院に進学。夏学期に何かをした記憶があまりないのだが、なんでだろう。
8月 SWoPP高知2006に参加。自分の発表はしょうもなかったが、学会の雰囲気とか、鰹がおいしかったり(→くろしお市場)でとても楽しかった。月末、Mathematics and Computer Science Division, Argonne National Laboratoryへインターン(Research Aide)として渡る。以後9月、10月をアメリカ(Argonne, Illinois; Chicagoの近く)で暮らす。Argonneでは本当にいろいろな人にお世話になった。
11月 Argonneでのインターンを終えて一旦帰国、直後にSC06のため再びTampa, Floridaへ
12月 あれ、今年ももう終わり?

振り返ってみると、アメリカに行った以外は特にこれといって大したことのない年であった。何か論文を書いたわけでもないのに2回もアメリカに行けて大変感謝。来年は研究をもっと頑張らないとな。

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November 10, 2006

Tampa着

無事にTampa, FL, USAに到着。経路は成田(NRT)-ワシントンD.C.ダレス(IDA)がNH002(B777-300)、ダレス(IDA)-タンパ(TPA)がUA1573(A320)だった。飛行機に関してはめちゃくちゃ感動することがいくつもあったので折を見て記事にしたいと思う。

今日はタンパ到着後、ホテルにチェックイン(無駄に超広い!)し、コンベンションセンターに行って場所と電源、サーバーが届いていることなどを確認した後夕飯に超分厚いステーキを平らげて今に至る。

仕事はとてつもなくたまっているが、日本を出るまえからの睡眠不足+時差のコンボでふらふらなので今日はさっさと寝て明日頑張ることにする。

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November 09, 2006

再び出国

先週木曜日(2日)に帰国したばかりだが,明日からは今度はSC06に向けて出発.しかもこのまま行くと終電で帰って翌早朝に出発というペースになりそう.

なんでこんなとんでもない生活をしているのか自分でもよくわからないが,真似しない方がよいのは確かだろう.

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January 22, 2006

デッドライン

卒論は余裕。……そんなふうに考えていた時期が、俺にもありました。

卒論が本当にやばい。締め切りは2月7日。なのに本当に何もできていない。さぼったという自覚はないけれど、見通しが甘かったというか、計画性がないというか、自分の能力を過信していた。あまりにやばすぎて、ここ数日はなんだか卒論についてのあれこれが他人事、自分には関係のない世界の出来事のように思えてきた。本当にまずい。

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January 02, 2006

初夢

明けましておめでとうございます。今年も不定期ながら日々の妄想を書きつづっていきたいと思っております。

さて、とりあえず初夢とやらを見たので覚えている範囲で書いておこう。

なぜか舞台は高校の時のクラス。Y中氏が模試の問題っぽいのを配っている。「なんたらかんたら(やたら長くて難しそうな名前)数学」と表紙にあって、「だから俺は数学とは金輪際関わらないことにしたんだってばー」とか文句を言っている。みんながそれなりに問題に見入っているのでしょうがないから自分も開いてみると、なんかコンピュータサイエンス系の超簡単そうな問題が並んでいる。これならさすがにできるんじゃねぇ?、と思う。

覚えてるのはここまで。この前や後にもきっと意味不明なエピソードがある気がするが、記憶の彼方である。なんか別におもしろいわけでもなく、ただただ意味不明な夢だなぁ…。

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December 31, 2005

2005年を振り返る

どこの日記を見ても同じことをやっていて顰蹙だけど、1年のまとめ。

1月 CPU実験とともに年明け。ひたすらコンパイラの最適化。この月はおもしろいように最適化が進んだ頃だった。プロトタイプアーキテクチャ"Firexhl"から本番アーキテクチャ"FX25636"への以降作業も行った。
2月 CPU実験しながら試験・Mac mini購入。しかしこの後Mac miniは研究室の片隅のインテリアと化すのであった…。
3月 CPU実験で優勝。
4月 ISerで四国旅行買わないだろうとか言っておきながらX40を購入。この軽さに慣れるともうX2xやX3xには戻れない。
5月 演習3でLilyVMをいじる。この辺からC言語onlyのUNIXシステムプログラミングの世界へ…
6月 演習3でLinux kernelをいじる。この辺からC言語onlyのOSカーネルプログラミングの世界へ…。嗚呼、オブジェクト指向プログラミングとC++とOCamlをこよなく愛した若者は何処へ行ってしまったのか。だんだん院試が鬱でたまらなくなる。研究室の第1志望を割とはっきり意識するようになる。PHS端末を京ぽんに変更
7月 暗黒面。結局映画館では2回しか見ることができず残念。演習3と夏学期の課題レポートに追われる日々。選択単位が揃わない気がして焦る。院試とレポートの板挟みにあい、結局院試の勉強は全くせず。
8月 あわてて院試の勉強を始める。試験前は正直50%くらいの確率で堕ちる気がしてしょうがなかったが、奇跡的に合格していた
9月 前半、離散数学不合格事件控訴審の結審(またの名を期末試験)に備えて勉強。おかげで優の判決が出た。が、成績表に去年の不可も並んで残ってるのはなぜ?後半、9月締め切りのレポートで徹夜を繰り返す。この頃出したレポートは専門外のこともあってものすごくひどい出来であった。成績出てないのが1つあるけど大丈夫かねぇ…?
10月 研究室配属、憧れの地上生活のスタート。ロッテの31年ぶり優勝に酔いしれる。
11月 研究室で出展したSuperComputingの国際会議、SC|05に連れて行って貰う。15年ぶり3回目のアメリカはやはり新鮮だった。英語が全然しゃべれない。言葉が出てこない。でも聞き取る力に関しては衰えていない気がした。ゲイツを見ようと頑張るも超混雑。遠目に見た。ところで、かつては「アメリカ産牛肉が輸入再開されても絶対食べるもんか!」と思っていたが、よく考えると現地で肉骨粉まみれのBEEFをたらふく食ってきたので、もはや怖い物はなくなった。もうこうなったら安くてうまけりゃなんでも食べるぜ!
12月 卒論のテーマが右45度ほど変更になって終わらない感が募る。卒論abstractを提出。もう後に引けなくなった。

IS関連の事柄しか書いてないのは仕様です。IS以外で大したことはやってないしね。さて、今年1年を振り返ると、まあまあ真面目にやってきたのではないだろうかという気がする。今年はコンパイラ(特に最適化フェーズ)、VM、OSなどについての理解が深まった。思い返すと、中学生~高校初期の頃はOSに強い興味を持っており、高校後期~教養時代あたりは人工知能・プログラミングパラダイム・セキュリティなんかに興味を持っていた。研究室選択によって、再びOS/ミドルウェア系の方面に集中することがほぼ確定したわけだが、なかなかよい選択であったと今のところ思っている。

さて、目下当面の目標は無事に卒論を書き上げ、卒業単位を無事に集めて来年3月に卒業することである。院試をもう一度、はぜひとも辞退したいところだ。

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